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[レビュー]六弦無宿 其の弐
- 2006.01.11 Wednesday
- 六弦無宿
- 19:32
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- by shui
10歳の頃エルヴィスの「オンステージVol2」でロックに目覚め、少しづつ音源などを集め始めたわけだが、時が経つにつれて好みというものがハッキリしてきた。今のようにネットなどがあるわけでもなく、流行とは無関係の旬じゃないアーティストの情報を仕入れるのには決して恵まれてるとはいえない地方都市に住んでいた俺は、どうにかこうにか手に入るロックヒストリーに関する本や、限られた品揃えの、選択肢のあまりない中から小遣いをやりくりして買ったCD(なんせ小学生な上にアホだったので、注文して買うという頭がなく店頭にあるものを買うしかなかった)の解説書・・・等から知識を仕入れるしかなかった。そんなわずかながらの情報を整理してみると、エルヴィスのキャリアは大きく3つに分かれているらしい事がわかってきた。
具体的には
1.50年代全米でセンセーショナルにデビューし、「ロックンロール」という音楽を社会問題にまで発展させ徴兵によって軍隊に入るまでの「反逆のヒーロー」時代 1954〜1959年
2.軍隊からの除隊後、より広い層に受け入れられるべくソフィスティケイトされ、映画のスクリーンの中での活動がメインだった時代。1960〜1969年
3.スクリーンからステージへの活動に戻り死亡するまでの間、ラスベガスでのショーをメインに活動していた期間。1969〜1977年
の3期間だ。そして俺が最も好きだったのが、2のエルヴィスだった。一般的にはこの期間はどちらかというと「商業主義に走り生身の活動=ライブをしていないダメな期間」との認識が強く、ファンの間でもそれは周知の事実で、それが常識的にまかり通っていた通念だった。そして音源もその常識にしたがって再発されており、60年代のワンパターンで無意味とされる映画の挿入歌をまとめたサウンドトラックアルバムはことごとく無視、60年代の曲でも映画とはあまり関係のないシングルヒットがベスト盤などに収録され再発されてるだけ、50年代や70年代の曲が新たにコンピレーションされたり、未発表テイクがどんどん発表されていくのに比べ、この時期のエルヴィスの音源は、かなり表面的な再発しかなされていなかった。60年代のエルヴィスの音源は中古レコードを探す以外、限られたものしか聴く事が出来なかったのだ。
こうした状況になったのは、当時多くのエルヴィスのCDの購買層が、80年代前半に流行ったストレイキャッツに代表されるネオロカビリーブームの余波で50年代のエルヴィスに行き着いた当時20代現在40才前後の人達か、日本でのエルヴィスのキャリアが最もビッグだった70年代にエルヴィスに目覚め、それを懐かしむ団塊の世代が中心だったためと思われる。団塊の人々は一度子供の頃、60年代のエルヴィスを実体験してるはずなのだが、団塊の世代のロックといえば大まかにみればビートルズやGSに軍配が上がり、子供の頃に体験したエルヴィスより、彼らの青春時代に流行ったビートルズや社会人になった頃に「大人のエンターテイナー歌手」として復活してきたエルヴィスの印象が強いようだ。団塊の世代の人たちにとっては、よほど子供の頃から洋楽を聞いていたような進んだ人達以外は、エルヴィスといえば70年代のジャンプスーツのエルヴィス・・・という認識が強いのではなかろうか?もっと正確に言えばこの世代の人たちで海外のロックを聞いてた人なんてあまりいなかった、というほうが真実な気もするが・・・(この辺に関しては、もっと深い考察が出来るので追々書いていこうと思います)。
そんなこんなで60年代のエルヴィスを聞くには圧倒的に不利な状況にもかかわらず、俺は生まれつきの天邪鬼な性格や「手に入りにくい」という事実にマニア心を刺激され、60年代のソフトなサウンドのエルヴィスやサウンドトラック中心の時代のエルヴィスへの思いを強く抱くようになり、細々と音源を集めていった。勿論そうなったのには、手に入れやすい音源は既に揃えてしまっていたり、当時の俺の耳には50年代のエルヴィスはなんとなくうるさいだけのように聞こえたり、70年代のエルヴィスはちょっと大人の音楽過ぎて理解できなかったり、と様々な要因が絡んではいたのだが、今思えば何よりも、ハリウッドやナッシュビルの一流のスタッフやブレーンが作り上げたバラエティに富んだプロフェッショナルなサウンドが純粋に俺の心を捉えた・・・というのが60年代のエルヴィスにこだわった一番の要因だと思う。更に古いカタログ等で見る事が出来た60年代のサウンドトラック盤のジャケデザインの何ともいえぬカラフルで60年代っぽいデザインやパッケージングにもとても心をひかれた・・・というのもあった。
60年代のエルヴィスはとにかくサウンドがバラエティに飛んでいる。有名なイタリア民謡「オーソレミオ」や「帰れソレントへ」をそれぞれ改作した「イッツナウオアネヴァー」や「サレンダー」があったり、その「イッツナウオアネヴァー」のB面は「ア メス オブ ブルース」という、白人ポップソングライターのドクポーマスとモートシューマンによる、スリーコードでありながら、それを少し聞きやすくオシャレにアレンジしてスマートなポップソング、ブラックミュージック的に言えばR&B風味をまぶした曲だった。更に同じソングライターチームが書いた61年の「リトルシスター」は、ナッシュビルのハンクガーランドという凄腕セッションマンのライトニングホプキンス的なブルージーなギターワークが炸裂するビートの利いたモダンな香りのするロックンロールだったり・・・等列挙していったらきりがない。
そんなバラエティ豊かなサウンド志向を更に過熱させたのが、60年代のエルヴィスの活動の柱となった映画の存在だ。映画のストーリーを簡潔に書くとほぼ9割が「歌が得意な主人公エルヴィスと相手役の女性の恋愛が実る」話で、殆どの映画のエンディングは結婚式のシーンだった。エルヴィスの役柄もパイロット、レーサー(最後は優勝)、賞金稼ぎ、人気クラブ歌手、アメリカンドリームを追う若者(勿論最後に成功)、大富豪の跡取り、カメラマン・・等、その時々で旬な肩書きの持ち主で、中にはシリアスな役柄のものもあったが、あまりヒットしなかったのか、8割は華々しい役どころだった。それにプラスして殆どの映画でエルヴィスが実生活で習っていた空手を披露するケンカシーンと海辺の綺麗な風景と若者のパーティーシーンが出てきていて、まさにハリウッド的な低予算エンターテイメント映画だった。
そんな風にストーリーが一緒で設定によりバラエティをつけていたエルヴィス映画の中でエルヴィスが歌う挿入歌は、舞台がハワイならハワイアンの香りが、カーニバルが舞台ならばカーニバルサウンドを、ドイツが舞台ならドイツ民謡を、メキシコが舞台ならメキシカンなアレンジを・・・という風に、それぞれのシチュエーションに合わせたプロフェッショナルなアレンジが施されているものが多いのだ。勿論最終的にポップソングの域を越えてはならないから、どれも「それ風」のお手軽な味付けにすぎないのだが、いくら多くのブレーンを抱えていたとはいえ、それこそサンバからワルツからカウボーイソングから民謡からハワイアンまで、全部「エルヴィス流ポップ」に仕上げてしまうプロフェッショナルな仕事には頭が下がるし、また憧れもする。
当然当時はそんな分析も憧れもなく、純粋に楽しんでいただけだったのだが、今思うと60年代のエルヴィスの評価が低いのは多分「イメージ的な革新性」がなかった事が最大の原因なんだと思う。50年代にアメリカの社会を引っくり返さんばかりの勢いで、ハードコアに登場した「革命児」がしばらくすると巨大エンターテイメント産業の権化、ハリウッドにこもり、ワンパターンの青春偶像映画にばかり出演しており、これは「ロックの精神」に反する事と思われていた。ましてやその60年代には皮肉交じりでの反骨精神を掲げたビートルズが出てきて、あくまで「芸能人」である事から逸脱しなかったエルヴィスとは違って政治的な発言などもし、そのクリエイティブで等身大のイメージがヒップである、との概念をどんどん植え付けていた頃だ。
これは多くの音楽、とりわけロックがイメージを重視する音楽だから、当然の成り行きであると思うし、一面的には真実だとも思う。しかし個人的には、そんな60年代のエルヴィスのサウンドがバラエティに富んでいるのは勿論の事、革新性も決して無視していない事を見過ごされるのは納得のいかないところだ。ヒットこそしていないが、63年に録音された「がっちり行こうぜ/Slowly But Surely」ではファズギターサウンドが導入されている。ファズギターがロックシーンで流行るのは65年ぐらいからで63年の時点では一般的ではなく数曲の、色物的なヒットソングに使われていただけで、ビッグアーティストではかなり早い時期の使用だと思う。また66年の「カリフォルニア万才/Spinout」なんかは、ドスンとビートが効いていて同時期にジミヘンやクリームの登場により急速にハード化が進んでいたロックシーンの動きに敏感に反応していたんじゃなかろうか、と思わせる。
このように、音楽的にみれば60年代のエルヴィスは決してポピュラーミュージックシーンの流れを無視していたわけではなかったのだ。確かに中にはやっつけ仕事的な楽曲もあるが、それとて「一流のスタッフやセッションミュージシャンによる手抜き」なわけで、アレンジ力の高さ等は最低限のレベルは十分に保っている。
勿論ガキの頃の俺は今日書いてきた様々な事には気づいていなかったが、いまだにプリミティブすぎる音楽はあまり好きじゃなかったり、明らかに一部の人間にしか受け入れられなさそうな音楽は聞けなかったり、とにかく完成度が高い音楽はそれだけで好きになったり・・・というのは、「バラエティや革新性を大事にしつつも手堅い線のポピュラーミュージック」を提示していた60年代のエルヴィスを好んで聞いていたからなのかもしれない。
60年代のエルヴィスをサラッと聞けるベスト
この数年はやっとこの時代も見直されてきて、別テイクなども聞けるようになりました。
ロト6が当たった人や気合の入った人はどうぞ
ロックンロール レビュー
具体的には
1.50年代全米でセンセーショナルにデビューし、「ロックンロール」という音楽を社会問題にまで発展させ徴兵によって軍隊に入るまでの「反逆のヒーロー」時代 1954〜1959年
2.軍隊からの除隊後、より広い層に受け入れられるべくソフィスティケイトされ、映画のスクリーンの中での活動がメインだった時代。1960〜1969年
3.スクリーンからステージへの活動に戻り死亡するまでの間、ラスベガスでのショーをメインに活動していた期間。1969〜1977年
の3期間だ。そして俺が最も好きだったのが、2のエルヴィスだった。一般的にはこの期間はどちらかというと「商業主義に走り生身の活動=ライブをしていないダメな期間」との認識が強く、ファンの間でもそれは周知の事実で、それが常識的にまかり通っていた通念だった。そして音源もその常識にしたがって再発されており、60年代のワンパターンで無意味とされる映画の挿入歌をまとめたサウンドトラックアルバムはことごとく無視、60年代の曲でも映画とはあまり関係のないシングルヒットがベスト盤などに収録され再発されてるだけ、50年代や70年代の曲が新たにコンピレーションされたり、未発表テイクがどんどん発表されていくのに比べ、この時期のエルヴィスの音源は、かなり表面的な再発しかなされていなかった。60年代のエルヴィスの音源は中古レコードを探す以外、限られたものしか聴く事が出来なかったのだ。
こうした状況になったのは、当時多くのエルヴィスのCDの購買層が、80年代前半に流行ったストレイキャッツに代表されるネオロカビリーブームの余波で50年代のエルヴィスに行き着いた当時20代現在40才前後の人達か、日本でのエルヴィスのキャリアが最もビッグだった70年代にエルヴィスに目覚め、それを懐かしむ団塊の世代が中心だったためと思われる。団塊の人々は一度子供の頃、60年代のエルヴィスを実体験してるはずなのだが、団塊の世代のロックといえば大まかにみればビートルズやGSに軍配が上がり、子供の頃に体験したエルヴィスより、彼らの青春時代に流行ったビートルズや社会人になった頃に「大人のエンターテイナー歌手」として復活してきたエルヴィスの印象が強いようだ。団塊の世代の人たちにとっては、よほど子供の頃から洋楽を聞いていたような進んだ人達以外は、エルヴィスといえば70年代のジャンプスーツのエルヴィス・・・という認識が強いのではなかろうか?もっと正確に言えばこの世代の人たちで海外のロックを聞いてた人なんてあまりいなかった、というほうが真実な気もするが・・・(この辺に関しては、もっと深い考察が出来るので追々書いていこうと思います)。
そんなこんなで60年代のエルヴィスを聞くには圧倒的に不利な状況にもかかわらず、俺は生まれつきの天邪鬼な性格や「手に入りにくい」という事実にマニア心を刺激され、60年代のソフトなサウンドのエルヴィスやサウンドトラック中心の時代のエルヴィスへの思いを強く抱くようになり、細々と音源を集めていった。勿論そうなったのには、手に入れやすい音源は既に揃えてしまっていたり、当時の俺の耳には50年代のエルヴィスはなんとなくうるさいだけのように聞こえたり、70年代のエルヴィスはちょっと大人の音楽過ぎて理解できなかったり、と様々な要因が絡んではいたのだが、今思えば何よりも、ハリウッドやナッシュビルの一流のスタッフやブレーンが作り上げたバラエティに富んだプロフェッショナルなサウンドが純粋に俺の心を捉えた・・・というのが60年代のエルヴィスにこだわった一番の要因だと思う。更に古いカタログ等で見る事が出来た60年代のサウンドトラック盤のジャケデザインの何ともいえぬカラフルで60年代っぽいデザインやパッケージングにもとても心をひかれた・・・というのもあった。
60年代のエルヴィスはとにかくサウンドがバラエティに飛んでいる。有名なイタリア民謡「オーソレミオ」や「帰れソレントへ」をそれぞれ改作した「イッツナウオアネヴァー」や「サレンダー」があったり、その「イッツナウオアネヴァー」のB面は「ア メス オブ ブルース」という、白人ポップソングライターのドクポーマスとモートシューマンによる、スリーコードでありながら、それを少し聞きやすくオシャレにアレンジしてスマートなポップソング、ブラックミュージック的に言えばR&B風味をまぶした曲だった。更に同じソングライターチームが書いた61年の「リトルシスター」は、ナッシュビルのハンクガーランドという凄腕セッションマンのライトニングホプキンス的なブルージーなギターワークが炸裂するビートの利いたモダンな香りのするロックンロールだったり・・・等列挙していったらきりがない。
そんなバラエティ豊かなサウンド志向を更に過熱させたのが、60年代のエルヴィスの活動の柱となった映画の存在だ。映画のストーリーを簡潔に書くとほぼ9割が「歌が得意な主人公エルヴィスと相手役の女性の恋愛が実る」話で、殆どの映画のエンディングは結婚式のシーンだった。エルヴィスの役柄もパイロット、レーサー(最後は優勝)、賞金稼ぎ、人気クラブ歌手、アメリカンドリームを追う若者(勿論最後に成功)、大富豪の跡取り、カメラマン・・等、その時々で旬な肩書きの持ち主で、中にはシリアスな役柄のものもあったが、あまりヒットしなかったのか、8割は華々しい役どころだった。それにプラスして殆どの映画でエルヴィスが実生活で習っていた空手を披露するケンカシーンと海辺の綺麗な風景と若者のパーティーシーンが出てきていて、まさにハリウッド的な低予算エンターテイメント映画だった。
そんな風にストーリーが一緒で設定によりバラエティをつけていたエルヴィス映画の中でエルヴィスが歌う挿入歌は、舞台がハワイならハワイアンの香りが、カーニバルが舞台ならばカーニバルサウンドを、ドイツが舞台ならドイツ民謡を、メキシコが舞台ならメキシカンなアレンジを・・・という風に、それぞれのシチュエーションに合わせたプロフェッショナルなアレンジが施されているものが多いのだ。勿論最終的にポップソングの域を越えてはならないから、どれも「それ風」のお手軽な味付けにすぎないのだが、いくら多くのブレーンを抱えていたとはいえ、それこそサンバからワルツからカウボーイソングから民謡からハワイアンまで、全部「エルヴィス流ポップ」に仕上げてしまうプロフェッショナルな仕事には頭が下がるし、また憧れもする。
当然当時はそんな分析も憧れもなく、純粋に楽しんでいただけだったのだが、今思うと60年代のエルヴィスの評価が低いのは多分「イメージ的な革新性」がなかった事が最大の原因なんだと思う。50年代にアメリカの社会を引っくり返さんばかりの勢いで、ハードコアに登場した「革命児」がしばらくすると巨大エンターテイメント産業の権化、ハリウッドにこもり、ワンパターンの青春偶像映画にばかり出演しており、これは「ロックの精神」に反する事と思われていた。ましてやその60年代には皮肉交じりでの反骨精神を掲げたビートルズが出てきて、あくまで「芸能人」である事から逸脱しなかったエルヴィスとは違って政治的な発言などもし、そのクリエイティブで等身大のイメージがヒップである、との概念をどんどん植え付けていた頃だ。
これは多くの音楽、とりわけロックがイメージを重視する音楽だから、当然の成り行きであると思うし、一面的には真実だとも思う。しかし個人的には、そんな60年代のエルヴィスのサウンドがバラエティに富んでいるのは勿論の事、革新性も決して無視していない事を見過ごされるのは納得のいかないところだ。ヒットこそしていないが、63年に録音された「がっちり行こうぜ/Slowly But Surely」ではファズギターサウンドが導入されている。ファズギターがロックシーンで流行るのは65年ぐらいからで63年の時点では一般的ではなく数曲の、色物的なヒットソングに使われていただけで、ビッグアーティストではかなり早い時期の使用だと思う。また66年の「カリフォルニア万才/Spinout」なんかは、ドスンとビートが効いていて同時期にジミヘンやクリームの登場により急速にハード化が進んでいたロックシーンの動きに敏感に反応していたんじゃなかろうか、と思わせる。
このように、音楽的にみれば60年代のエルヴィスは決してポピュラーミュージックシーンの流れを無視していたわけではなかったのだ。確かに中にはやっつけ仕事的な楽曲もあるが、それとて「一流のスタッフやセッションミュージシャンによる手抜き」なわけで、アレンジ力の高さ等は最低限のレベルは十分に保っている。
勿論ガキの頃の俺は今日書いてきた様々な事には気づいていなかったが、いまだにプリミティブすぎる音楽はあまり好きじゃなかったり、明らかに一部の人間にしか受け入れられなさそうな音楽は聞けなかったり、とにかく完成度が高い音楽はそれだけで好きになったり・・・というのは、「バラエティや革新性を大事にしつつも手堅い線のポピュラーミュージック」を提示していた60年代のエルヴィスを好んで聞いていたからなのかもしれない。
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この数年はやっとこの時代も見直されてきて、別テイクなども聞けるようになりました。
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ロックンロール レビュー
- コメント
- かなり以前の記事なのでご覧になってるかどうか・・・
ロックン・ロール発祥についての考察、感服しました。この手の考察をしている人は意外に少なく自分のフェイバリット音楽を語る人はいてもなかなか。。私はロックン・ロールの起源を探っていますがRoy BrownやDelmore Brothersに辿りついたものの底なし沼の感じがします。
R&Rのルーツについての記事も期待しています。 -
- yasi
- 2015/12/28 10:55 AM
- yasiさん、はじめまして、コメントありがとうございます。
R&R起源探りの旅は私ももはやライフワーク的になっております。でもほんと奥深いですよね。白人ウェスタンスウィングと黒人ジャンプ系R&BがR&Rの基本のルーツ・・・ではあるのですが近年 youtube等の発達により本場の人達がルーツR&Rとしてアップしている曲の動画を見ると「こんなのもあるのか!」と新たに色々と発見があったり します。
私もそういう新たに仕入れた情報を踏まえつつ今までの蓄積と照らし合わせて色々と考察していますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
このブログは10年前にロックンロールの発祥、発展を追求する目的で立ち上げ、現在もブログを引っ越してゆっくりと活動中です。当ブログの記事も加筆修正しつつ新ブログへ移行、時代の変遷とともにポッドキャスト等新コンテンツも追加しつつ試行錯誤しながら細々とやっていますので、よろしければそれらについてもよろしくお願いします。
新ブログ:http://dbrrs.blog.jp/archives/cat_357903.html
ポッドキャスト:https://soundcloud.com/dbrrs-1 -
- Mister Gee
- 2015/12/29 6:59 AM
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