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[レビュー]THE GOLDEN AGE OF ROCK AND ROLL CD紹介その30
- 2006.02.10 Friday
- THE GOLDEN AGE OF ROCK AND ROLL
- 01:49
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- by shui
まず彼らへの認識が、本国アメリカと日本では大きく異なる事に触れておかねばならない。彼らが世間に認知されるようになったのは、1960年に「急がば廻れWalk Don't Run」が全米2位のヒットとなった時の事。よってアメリカでは彼等は[レビュー]THE GOLDEN AGE OF ROCK AND ROLL CD紹介その25で紹介したようなバンド群、プレサーフ期のロックンロールインストバンドの一つ、もしくはミュージシャンズミュージシャンとしての認識が強い。
多分今日もアメリカのどこかのオールディーズ専門局でウルフマンジャックに雄たけびと共に60年のヒット曲Walk Don't Runが、Frankie FordのSea CruiseやBobby DayのRockin' RobinやCrestsの16Candles・・等と共に流れている事だろう。
ところがここ日本では彼等のキャリアに関する認識はだいぶ違う。日本で彼等をリアルタイムで耳にしたであろう近頃話題の団塊の世代の人達に新橋辺りで「ベンチャーズの曲といえば?」なんてインタビューを試みたら「パイプライン」「ダイアモンドヘッド」「京都慕情」「二人の銀座」という答えが返ってくるはず。
ベンチャーズの初ヒットのWalk Don't Runがアメリカでヒットしたのは昭和35年の事。一応この時も日本ではレコードは発売されていたのだが、この時点では海の向こうのヘンテコな器楽演奏・・・みたいな扱いだったのだと思う。
元来エレキインストというのはアメリカにおいて、ロックンロールが反発を受けながらも、ある程度市民権を得て正確に理解され、その結果出てきた、いわば進化系のロックンロール。そんな進化系のロックンロールが、進化前のロックンロールですらまともに伝わってなかったわが国で理解されるはずが無かったのだ。
当時日本ではロックといえばポールアンカやニールセダカのいわばポップスが「ロッカビリイ」(エルヴィスは最初エルヴィス プリースリーだった)なんていう認識に加え呼び方まで微妙に間違って輸入されていた時代。まあ、情報の伝達の手段も方法も未熟だったから、といってしまえばそれまでなのだが、個人的にはこの最初の躓きというのが50年たった今でも日本のロックに修復不能な暗い影を落としているような気がしてならない。
話が逸れたがともかくも多分ヴェンチャーズの記念すべき初ヒットはわが国では大いに不発に終わり(だからこのレコードは高値)、本国ではティーンエイジャーのダンスパーティ用レコードの御用達バンドとして着実に地位を固めながら62年には彼等の所属するレーベルの発売権を日本の東芝が獲得したキャンペーンの一環でボビーヴィーやジョアンキャンベルと共に来日したりもしたのだが、この時はまだやはり日本での人気を得るには至らなかった。
一方当のヴェンチャーズは、本国アメリカでダンスパーティ用バンドとしてレコードを発売し続けながらも、着実に進化していくロックシーンの流れに対応(この辺りが凡百のインストコンボと彼等の差を決定付けたのだろう)すべくリードギタリストをそれまでベーシストだったノーキーエドワーズに入れ替えたり、使用ギターを他のインストバンドがフェンダー一辺倒だったのを高出力のピックアップ(マイク)を搭載して独特のつぶれたサウンドを出すモズライトに変更したり、ファズを導入したり、多重録音的なことにチャレンジしてみたり・・・して、ミュージシャンズミュージシャン的な人気を中心に高い評価を得ていく。
エディヴァンヘイレンはWalk Don't Runを最初にコピーしたらしいし、リックデリンジャー(マッコイズ・・ヴェンチャーズのインディーデビューシングルのB面曲の"The Real Mccoyにちなんでつけられたと思われる)やスティーヴン・タイラー(エアロスミス)、グレイトフルデッドのジェリーガルシア等もかなり影響を受けたという。そしてサーフ/エレキインストインストブームが訪れた63〜64年頃に彼等は老舗インストバンドとしてブームにうまく乗り再浮上、その余波が日本に流れてきたのだ。
そこでサーフインストの一発屋、シャンテイズ(アメリカではヴェンチャーズより多分シャンテイズの曲としての認識度のが高い)のカバー「パイプライン」のイントロのグリッサンド音がここ日本では「テケテケ」と呼ばれ、エレキ=ヴェンチャーズ=テケテケという図式を作り出し若者達に大人気を博したのだった。
またTボーンズ(これまたエレキインストバンド)のメンバー、ダニーハミルトンが作曲した「ダイアモンドヘッド」も日本で爆発的にヒット(アメリカではビルボードの70位止まりだった)、彼らの日本での人気は決定的になる。そして日本での人気が絶好調の65年には再来日、厚生年金会館での熱気に満ちたライブ(前回はプロレスかなんかの前座みたいな感じだったらしい)はライブアルバムになっており、今聞いても当時の観客の熱狂振りが伝わってくる仕上がりだ。その後ほぼ毎年来日し日本の夏の代名詞・・・みたいな感じになっている。
当時ヴェンチャーズに熱狂した日本の若者は皆こぞって「テケテケ」がやりたくてエレキギターを求めたが、その金属的な音が大人たちの反発を買い「エレキは不良」との社会通念が出来上がり、学校ではエレキ禁止を校則にしたりと、その時点からさかのぼる事10年前のアメリカでロックンロールが登場した時のような現象が日本でも起きていたのだ。逆にいえば55〜56年当時ロックンロールセンセイションが日本に輸入されるには、まだ日本は文化的にも経済的にも未熟すぎた。
若者が「青春の1ページ」的に反抗的な態度を取るのは国が豊かな証拠であり(1-2「ロックンロール誕生前夜〜Rockin' All Day」および1-3「ロックンロール誕生前夜〜Rockin' All Day」参照)50年代は日本はまだそこまで豊かでなかった(反抗的な若者はいつの時代もいるものだが、国が貧しいと「ホンモノ」にならざるを得なかったりして青春の1ページでは済まない)という事になるのだろう。
一応50年代の日本にもウェスタンカーニバルなどもあり、誤った認識のロックンロールが輸入され、勘違いした人々が盛り上がってはいたが、殆どが日本のアーティストによるカバーで、そこに存在したのは本質的にはロックではなかったのだ。
ヴェンチャーズが人気を得始めた頃、日本は東京オリンピックだったり新幹線が開通したりカラーテレビの放映が始まったり・・・と、とにかくいろんな物事が上向きで国民の生活も意識を含め余裕が出てきたのだろう。ヴェンチャーズは、日本で最初に起きた、若かりし日々の団塊の世代によるティーンエイジレボリューションを先導する存在だったのだ。
10年前のアメリカでエルヴィスがそうであったように。前出の「ライブインジャパン」のアルバムを聞くと、観客が奇声を上げて野次を飛ばして司会者(当時のライブにはそういうのがいたらしいです)と巧妙なやり取りをしたりしてて、何となく「自分達の世界を確立して楽しむ若者達の様子」・・・というのが伝わってきます。
ただその時点で、日本での彼等の人気の異常な加熱振りに目をつけたマネジメントがヴェンチャーズを日本市場で更に浸透させるべくヴェンチャーズ作曲の歌謡曲「二人の銀座」や「京都慕情」を日本のアーティストに歌わせ更に自分達でも演奏した事が、ロックファンの間で、特に日本で彼等の評価を下げる事となってしまった。
それらの曲も冷静に聴くと哀愁漂うカッコイイ曲だったりもするのだが、ロックというのはイメージや精神性を重んじる音楽。恥ずかしい歌謡曲を演奏して「セルアウト(ミュージシャンが売らんがために節操無い行為をする事)」したヤツラということで、長い間ヴェンチャーズはロックファン、特に日本のロックファンの間では小ばかにされていたような部分があるのだが、この10年でそれもだいぶ解消されてきた感がある。ヴェンチャーズが市場を日本にシフトした時期というのは、アメリカではビートルズに代表されるブリティッシュ勢が押し寄せていて軒並みアメリカのアーティストがチャート上位から駆逐されてた時期だけに、商売の原理としては正に渡りに船だったわけだ。
エルヴィスの映画時代が評価が低いのと同様ヴェンチャーズの歌謡路線や夏になると必ず来日する等、いかにもアメリカ的で一定の安定した資金回収を見据えた商業主義的なやり方というのは、とかくロックファンには敬遠されがちだ。勿論それは真実だとも思うし、ロックの原点の一つである「ハングリー精神」を欠いた行為だとは個人的にも思うが、貨幣経済の世の中に住んでる限り避けられない事だとも思うし、出来上がったもののクオリティさえ良きゃいいんじゃないか・・・という気がするのも事実。
エルヴィスやストーンズやビートルズが商業主義でもあり本物のロックでもある、という事実を見ている限り最終的に何よりも大事なのはバランスであり、それを可能にするのはロックに対する深い造詣と最低限の社会常識に他ならない。
更にここ日本でかなり特殊な評価を得ていたヴェンチャーズに影響を受けたエレキ少年達がこぞってグループサウンドのバンドとなった事実も日本のロックの歴史を語る上で見逃せない事実だと個人的には思う。
お手ごろなベスト盤。とりあえずこれを聞いておけば良いでしょう。聞けば聞くほど彼等のロックンロールバンドとしての凄みが伝わってきます。特に楽器を演奏する人間やバンドマンはこのアンサンブルが心から「凄い」と思えるようになって欲しいものです。
そしてその演奏の凄みがいやというほど伝わるライブ。フェンダーのアンプに直結したモズライト2本とエレキベース、シンプルなドラムセットで繰り広げられる変幻自在の演奏を多分舞台両側に立てた2本のマイクで録音したと思われる本物のプリミティブなロックンロールサウンド。デジタルのラックを2ケースも組んだりタコでもたたききれないような大げさなドラムセットを組む行為がとてもちっぽけに思えてきます。
テクノロジーに頼って音を増幅させてハードさを演出するのではなくあくまで演奏者である「人間」が主体となって「気合」で全てをねじ伏せるかのようにそれぞれのグルーブを叩きつけるように放出する事によってのみ出せる「ハードさ」です。リードギターからベースにシフトしたボブボーグルの動きまわるベースラインもツボが抑えてありベースとして逸脱していないので、不愉快ではなくジョンポールジョーンズ的に気持ちがいいです。
山下達郎氏に監修による編集盤。さすがに彼は色々とわかっているようで、「ロックンロールバンド」としてのヴェンチャーズにフォーカスした選曲です。アルバム最後に入ってる「Escape」は個人的に裏ヴェンチャーズナンバーワンソング。ちゃんとテケテケも入ってるしね。
ロックンロール レビュー
多分今日もアメリカのどこかのオールディーズ専門局でウルフマンジャックに雄たけびと共に60年のヒット曲Walk Don't Runが、Frankie FordのSea CruiseやBobby DayのRockin' RobinやCrestsの16Candles・・等と共に流れている事だろう。
ところがここ日本では彼等のキャリアに関する認識はだいぶ違う。日本で彼等をリアルタイムで耳にしたであろう近頃話題の団塊の世代の人達に新橋辺りで「ベンチャーズの曲といえば?」なんてインタビューを試みたら「パイプライン」「ダイアモンドヘッド」「京都慕情」「二人の銀座」という答えが返ってくるはず。
ベンチャーズの初ヒットのWalk Don't Runがアメリカでヒットしたのは昭和35年の事。一応この時も日本ではレコードは発売されていたのだが、この時点では海の向こうのヘンテコな器楽演奏・・・みたいな扱いだったのだと思う。
元来エレキインストというのはアメリカにおいて、ロックンロールが反発を受けながらも、ある程度市民権を得て正確に理解され、その結果出てきた、いわば進化系のロックンロール。そんな進化系のロックンロールが、進化前のロックンロールですらまともに伝わってなかったわが国で理解されるはずが無かったのだ。
当時日本ではロックといえばポールアンカやニールセダカのいわばポップスが「ロッカビリイ」(エルヴィスは最初エルヴィス プリースリーだった)なんていう認識に加え呼び方まで微妙に間違って輸入されていた時代。まあ、情報の伝達の手段も方法も未熟だったから、といってしまえばそれまでなのだが、個人的にはこの最初の躓きというのが50年たった今でも日本のロックに修復不能な暗い影を落としているような気がしてならない。
話が逸れたがともかくも多分ヴェンチャーズの記念すべき初ヒットはわが国では大いに不発に終わり(だからこのレコードは高値)、本国ではティーンエイジャーのダンスパーティ用レコードの御用達バンドとして着実に地位を固めながら62年には彼等の所属するレーベルの発売権を日本の東芝が獲得したキャンペーンの一環でボビーヴィーやジョアンキャンベルと共に来日したりもしたのだが、この時はまだやはり日本での人気を得るには至らなかった。
一方当のヴェンチャーズは、本国アメリカでダンスパーティ用バンドとしてレコードを発売し続けながらも、着実に進化していくロックシーンの流れに対応(この辺りが凡百のインストコンボと彼等の差を決定付けたのだろう)すべくリードギタリストをそれまでベーシストだったノーキーエドワーズに入れ替えたり、使用ギターを他のインストバンドがフェンダー一辺倒だったのを高出力のピックアップ(マイク)を搭載して独特のつぶれたサウンドを出すモズライトに変更したり、ファズを導入したり、多重録音的なことにチャレンジしてみたり・・・して、ミュージシャンズミュージシャン的な人気を中心に高い評価を得ていく。
エディヴァンヘイレンはWalk Don't Runを最初にコピーしたらしいし、リックデリンジャー(マッコイズ・・ヴェンチャーズのインディーデビューシングルのB面曲の"The Real Mccoyにちなんでつけられたと思われる)やスティーヴン・タイラー(エアロスミス)、グレイトフルデッドのジェリーガルシア等もかなり影響を受けたという。そしてサーフ/エレキインストインストブームが訪れた63〜64年頃に彼等は老舗インストバンドとしてブームにうまく乗り再浮上、その余波が日本に流れてきたのだ。
そこでサーフインストの一発屋、シャンテイズ(アメリカではヴェンチャーズより多分シャンテイズの曲としての認識度のが高い)のカバー「パイプライン」のイントロのグリッサンド音がここ日本では「テケテケ」と呼ばれ、エレキ=ヴェンチャーズ=テケテケという図式を作り出し若者達に大人気を博したのだった。
またTボーンズ(これまたエレキインストバンド)のメンバー、ダニーハミルトンが作曲した「ダイアモンドヘッド」も日本で爆発的にヒット(アメリカではビルボードの70位止まりだった)、彼らの日本での人気は決定的になる。そして日本での人気が絶好調の65年には再来日、厚生年金会館での熱気に満ちたライブ(前回はプロレスかなんかの前座みたいな感じだったらしい)はライブアルバムになっており、今聞いても当時の観客の熱狂振りが伝わってくる仕上がりだ。その後ほぼ毎年来日し日本の夏の代名詞・・・みたいな感じになっている。
当時ヴェンチャーズに熱狂した日本の若者は皆こぞって「テケテケ」がやりたくてエレキギターを求めたが、その金属的な音が大人たちの反発を買い「エレキは不良」との社会通念が出来上がり、学校ではエレキ禁止を校則にしたりと、その時点からさかのぼる事10年前のアメリカでロックンロールが登場した時のような現象が日本でも起きていたのだ。逆にいえば55〜56年当時ロックンロールセンセイションが日本に輸入されるには、まだ日本は文化的にも経済的にも未熟すぎた。
若者が「青春の1ページ」的に反抗的な態度を取るのは国が豊かな証拠であり(1-2「ロックンロール誕生前夜〜Rockin' All Day」および1-3「ロックンロール誕生前夜〜Rockin' All Day」参照)50年代は日本はまだそこまで豊かでなかった(反抗的な若者はいつの時代もいるものだが、国が貧しいと「ホンモノ」にならざるを得なかったりして青春の1ページでは済まない)という事になるのだろう。
一応50年代の日本にもウェスタンカーニバルなどもあり、誤った認識のロックンロールが輸入され、勘違いした人々が盛り上がってはいたが、殆どが日本のアーティストによるカバーで、そこに存在したのは本質的にはロックではなかったのだ。
ヴェンチャーズが人気を得始めた頃、日本は東京オリンピックだったり新幹線が開通したりカラーテレビの放映が始まったり・・・と、とにかくいろんな物事が上向きで国民の生活も意識を含め余裕が出てきたのだろう。ヴェンチャーズは、日本で最初に起きた、若かりし日々の団塊の世代によるティーンエイジレボリューションを先導する存在だったのだ。
10年前のアメリカでエルヴィスがそうであったように。前出の「ライブインジャパン」のアルバムを聞くと、観客が奇声を上げて野次を飛ばして司会者(当時のライブにはそういうのがいたらしいです)と巧妙なやり取りをしたりしてて、何となく「自分達の世界を確立して楽しむ若者達の様子」・・・というのが伝わってきます。
ただその時点で、日本での彼等の人気の異常な加熱振りに目をつけたマネジメントがヴェンチャーズを日本市場で更に浸透させるべくヴェンチャーズ作曲の歌謡曲「二人の銀座」や「京都慕情」を日本のアーティストに歌わせ更に自分達でも演奏した事が、ロックファンの間で、特に日本で彼等の評価を下げる事となってしまった。
それらの曲も冷静に聴くと哀愁漂うカッコイイ曲だったりもするのだが、ロックというのはイメージや精神性を重んじる音楽。恥ずかしい歌謡曲を演奏して「セルアウト(ミュージシャンが売らんがために節操無い行為をする事)」したヤツラということで、長い間ヴェンチャーズはロックファン、特に日本のロックファンの間では小ばかにされていたような部分があるのだが、この10年でそれもだいぶ解消されてきた感がある。ヴェンチャーズが市場を日本にシフトした時期というのは、アメリカではビートルズに代表されるブリティッシュ勢が押し寄せていて軒並みアメリカのアーティストがチャート上位から駆逐されてた時期だけに、商売の原理としては正に渡りに船だったわけだ。
エルヴィスの映画時代が評価が低いのと同様ヴェンチャーズの歌謡路線や夏になると必ず来日する等、いかにもアメリカ的で一定の安定した資金回収を見据えた商業主義的なやり方というのは、とかくロックファンには敬遠されがちだ。勿論それは真実だとも思うし、ロックの原点の一つである「ハングリー精神」を欠いた行為だとは個人的にも思うが、貨幣経済の世の中に住んでる限り避けられない事だとも思うし、出来上がったもののクオリティさえ良きゃいいんじゃないか・・・という気がするのも事実。
エルヴィスやストーンズやビートルズが商業主義でもあり本物のロックでもある、という事実を見ている限り最終的に何よりも大事なのはバランスであり、それを可能にするのはロックに対する深い造詣と最低限の社会常識に他ならない。
更にここ日本でかなり特殊な評価を得ていたヴェンチャーズに影響を受けたエレキ少年達がこぞってグループサウンドのバンドとなった事実も日本のロックの歴史を語る上で見逃せない事実だと個人的には思う。
お手ごろなベスト盤。とりあえずこれを聞いておけば良いでしょう。聞けば聞くほど彼等のロックンロールバンドとしての凄みが伝わってきます。特に楽器を演奏する人間やバンドマンはこのアンサンブルが心から「凄い」と思えるようになって欲しいものです。
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そしてその演奏の凄みがいやというほど伝わるライブ。フェンダーのアンプに直結したモズライト2本とエレキベース、シンプルなドラムセットで繰り広げられる変幻自在の演奏を多分舞台両側に立てた2本のマイクで録音したと思われる本物のプリミティブなロックンロールサウンド。デジタルのラックを2ケースも組んだりタコでもたたききれないような大げさなドラムセットを組む行為がとてもちっぽけに思えてきます。
テクノロジーに頼って音を増幅させてハードさを演出するのではなくあくまで演奏者である「人間」が主体となって「気合」で全てをねじ伏せるかのようにそれぞれのグルーブを叩きつけるように放出する事によってのみ出せる「ハードさ」です。リードギターからベースにシフトしたボブボーグルの動きまわるベースラインもツボが抑えてありベースとして逸脱していないので、不愉快ではなくジョンポールジョーンズ的に気持ちがいいです。
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山下達郎氏に監修による編集盤。さすがに彼は色々とわかっているようで、「ロックンロールバンド」としてのヴェンチャーズにフォーカスした選曲です。アルバム最後に入ってる「Escape」は個人的に裏ヴェンチャーズナンバーワンソング。ちゃんとテケテケも入ってるしね。
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- おすすめ度
ロックンロール レビュー
- コメント
- ベンチャーズもいつの間にか、「ロックの殿堂入り」してましたね。もう高齢だし、いつまで、このサウンドが聴けるのか。
-
- ぱぱ
- 2010/07/27 12:50 PM
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